つるがや元気会市民講座:~鶴ケ谷と塩竃街道(肴の道) 塩釜津から仙台肴町へ「」開催しました
2023年11月12日
つるがや元気会「市民講座:~鶴ケ谷と塩竃街道(肴の道) 塩釜津から仙台肴町へ」
9月27日開催し53名の方に出席いただきました。
講師は鶴ケ谷在住で東北学院大学 経営学部 教授 斎藤 善之先生です。
'松島沿岸は東京湾などと並ぶ貝塚遺跡の集中地域で太古の昔から海の幸に恵まれていたことがうかがえる。奈良時代律令政府多賀城が創設され国司を中心として地元の豪族や多数の鎮兵が駐屯し「辺境の蝦夷」を威圧していた。多賀城維持のため米、野菜、魚や塩が集められたようです。松島湾の最も西に位置する塩釜が国府付属の港として認められた。港から多賀城政庁を結ぶ道が塩釜古道で肴の道=塩の道であった。関ヶ原の戦いの後、伊達政宗が家康から仙台城と城下町建設の許可を得た。七ヶ浜から馬で仙台に魚を運ぶ順路は塩釜⇒岩切⇒鶴ケ谷を通って肴町届く。塩釜に集中的に魚を集め仙台に運ぶ。これに反してして背けば3日の閉門蟄居を命じられたということです。 また塩釜の活性化を図る令として貞享特令が発布された。発布から5年後七ヶ浜の住民から塩釜だけではなく七ヶ浜への水揚げを許可するようにとの訴えを起こし自由に七里ガ浜にも水揚げが可能になり第二の肴の道として「七ヶ浜道」が出来た。仙台城下に入る魚はいったん肴町に集められセリが行われ城下各所で販売された。その他肴町には「もぐりの料理店」や女芝居小屋もあったそうです。興味深いお話をありがとうございました。


9月27日開催し53名の方に出席いただきました。
講師は鶴ケ谷在住で東北学院大学 経営学部 教授 斎藤 善之先生です。
'松島沿岸は東京湾などと並ぶ貝塚遺跡の集中地域で太古の昔から海の幸に恵まれていたことがうかがえる。奈良時代律令政府多賀城が創設され国司を中心として地元の豪族や多数の鎮兵が駐屯し「辺境の蝦夷」を威圧していた。多賀城維持のため米、野菜、魚や塩が集められたようです。松島湾の最も西に位置する塩釜が国府付属の港として認められた。港から多賀城政庁を結ぶ道が塩釜古道で肴の道=塩の道であった。関ヶ原の戦いの後、伊達政宗が家康から仙台城と城下町建設の許可を得た。七ヶ浜から馬で仙台に魚を運ぶ順路は塩釜⇒岩切⇒鶴ケ谷を通って肴町届く。塩釜に集中的に魚を集め仙台に運ぶ。これに反してして背けば3日の閉門蟄居を命じられたということです。 また塩釜の活性化を図る令として貞享特令が発布された。発布から5年後七ヶ浜の住民から塩釜だけではなく七ヶ浜への水揚げを許可するようにとの訴えを起こし自由に七里ガ浜にも水揚げが可能になり第二の肴の道として「七ヶ浜道」が出来た。仙台城下に入る魚はいったん肴町に集められセリが行われ城下各所で販売された。その他肴町には「もぐりの料理店」や女芝居小屋もあったそうです。興味深いお話をありがとうございました。
Posted by つるがや元気会 at 10:36│Comments(0)